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キュナード・ヒストリー

世界最速の称号「ブルー・リボン」の獲得、
「世界初」「洋上初」を冠したクルーズや船内設備、
キュナードの伝統は、革新の歴史でもありました。

1839年に創業者のサミュエル・キュナードは、英国政府との郵便輸送契約を獲得し「イギリス北アメリカ王室郵便汽船会社」を設立。1840年2月6日に1番船「ブリタニア」が進水しました。
英国政府の郵便事業船「ロイヤル・メイル・シップ(R.M.S.)」を冠し、7月4日午後2時に初の北大西洋横断定期航路へ出発。航路はリバプール~ハリファックス~ボストンでした。

1878年に株式を公開し「キュナード汽船会社」を発足しました。
エジソンが白熱電球を実用化した2年後、1881年に初の鋼船「セルビア」が就航。全ての船室に電灯照明を導入しました。船内の設計は当時の北大西洋航路船の原型でした。
1884年に初めて冷蔵装置が装備された「アンブリア」がデビュー。
1893年には初のツインスクリュー船、1万2950トンの「カンパニア」がデビュー。当時、最速22ノットの客船で初の船内新聞も発行されました。

1912年4月10日、ホワイトスター・ラインの「タイタニック」が処女航海でニューヨークへ向けサウサンプトンを出発。
途中、14日の深夜に氷山に衝突し沈没しました。いち早く、キュナードの「カルパチア」が生存者866名を救助しました。
その後1934年にホワイトスター・ラインは合併され「キュナード‐ホワイトスター・ライン」が発足。その高品質なサービスは現在のキュナードの「ホワイトスター・サービス」に受け継がれています。
1913年にジョージ5世とメリー王妃が現君主として初めて「モーレタニア」を訪船。1914年にはキュナード初の4万トン級客船「アキタニア」がデビュー。

第一次世界大戦で提供した客船20隻が焼失。
1921 年には「シシア」「ラコニア」がデビューし、5月にはキュナード初、英王妃の名を冠した「ベレンガリア」がデビュー。
1922年11月にはアメリカン・エキスプレスのチャーターで「ラコニア」が西回り130日間の世界初世界一周クルーズへ出港。パナマとスエズの両運河を通過する世界初の航路で、12月に横浜、翌年1 月に神戸に寄港しました。
東京朝日新聞大正11年12月28日付では「キュナード社のモルタニア號」(モーレタニア)が「自己のレコードを破って天下の耳目を驚かした」と報道されました。
1923年「フランコニア」がデビューし、後1945年には英国首相チャーチルがヤルタ会談出席の際に乗船されました。

5月、初代「クイーン・メリー」がデビュー。
8月に西航30.14ノット、東航30.63ノットを記録、世界最速記録の称号「ブルー・リボン」を獲得しました。
1938年には英国女王エリザベス2世の母、エリザベス王妃の命名により「クイーン・エリザベス」が進水、「クイーン」の名を冠した客船が続く時代の幕開けでした。

1949年に社名を「キュナード・スチームシップ社」に変更。
同年、ワールドクルーズと大西洋横断航路に特化し建造された「カロニア」がデビュー。全長217.9mに及ぶ船体が緑色に塗装され「グリーン・ゴッデス」の名で愛されました。
1951年からワールドクルーズを開始、日本にも寄港しました。

英国女王エリザベス2世の命名により「クイーン・エリザベス2」がデビュー。当初はファンネル(煙突)を白く塗装した斬新なデザインでした。

1月、「クイーン・エリザベス2」初の世界一周クルーズへ出発。3月5~6日に神戸、3月7~10日に横浜に寄港しました。横浜では、1日で1万8千人以上もの人が一目見たさに大桟橋へ詰めかけ、ターミナルは何度も入場制限がかかる大変な人気でした。延べ50万人が訪れ、「クイーン・エリザベス2」は夢の豪華客船と広く日本で知られるようになりました。
1982年にはフォークランド紛争が勃発。
第一次・第二次世界大戦と同様、兵員輸送に「クイーン・エリザベス2」が投入されました。

1990年に創立150周年を迎え、「クイーン・エリザベス2」は7月17日に記念クルーズに出発。7月27日、スピッドヘッドで同僚船「ヴィスタフィヨルド」と共に英国女王エリザベス2世が出席された観閲式に参列しました。
1998年にはカーニバル・グループの傘下に。

2004年に「クイーン・メリー2」が、2007年に「クイーン・ヴィクトリア」がデビュー。
2010年には「クイーン・エリザベス(3代目)」がデビュー。
2015年5月25日に行われた創立175周年記念式典はキュナード・ビルの前で3船が集結し祝福しました。
2022年にはクイーン・メリー2、クイーン・ヴィクトリア、クイーン・エリザベスに続く4隻目となる客船がデビュー予定。